マラケシュ 紅の墓標 ~博多座版~

ずーっとずっと観たい観たいと喚き散らしていた博多座マラケシュ、ついに観れた~~!!

ありがとうスカイステージ。ラブ。電波強くしてくれ。

 

 

演出ががらっと違うよ、というのは聞いていたのですが、ここまでとは。

 

本公演を知らずに博多座版だけ、あるいは博多座版を先に観た人の感想も伺ってみたい。流石にいないだろうけど。

 

人柄、属性、出来事、関係性、そういったものを逐一台詞にして登場人物に説明させる。その情報の波をわかりやすさとするなら、このマラケシュはすっごく「わかりやすい」。……はず。

説明が足りない、分かりづらいって散々言われたのを改稿したらこう……なるか?なるとも言い切れない、やっぱり全くの別物だ。

たしかに、私の大劇場公演の初見感想「全然わからん」だったし。リピートした今となっては大好き、一番好きですけれどもね、大劇場版。

 

せり上がりせり下がりがあって盤が回って、っていう舞台演出はすごく好き。

ただこの、オープニングから登場人物が次々生い立ちやマラケシュへ至る経緯をまくしたてて自己紹介して、っていうのは逆に情報過多な気もする。群衆劇の色が強い?

どうしても本公演では物語における比重がイヴェット>オリガに(贔屓目もあって)見えてしまっていたけど、こちらはナターリャ叔母様もご健在でオリガと一緒についてきてくれるので、そこはバランスいいかも。物語の風味としていいのかはさておき。

強い色彩の存在感をもつあすかイヴェットが大好きだけれど、なるイヴェットになって若く、言ってしまえば薄くなったので、より一層女性陣が横並びに見える。

イヴェット、オリガ、ソフィア、アマン。みんなリュドヴィークに惹かれて求めている。

 

リュドヴィークはどこか遠くを見つめているけれど、彼女たちへの愛も嘘じゃない。愛というか、情というか。

 

レオンへの弟のような愛情も、コルベットへの敬愛・信頼も。

そんなに自己陶酔過多なリュドの印象も受けなかったな。

 

愛のないひとではないんだよなあ。でもどこまでいっても流離う孤独なひとだ。

 

 

以下、登場人物ごとに感想など。

 

コルベット/はっちさん

……いや、あの、一番最初が彼なのが本当に私だなあと思うんですけど……コルベットですよ。

ドンとリュドの関係ですよ。

 

なんであんなに密接で阿吽の呼吸で熟年夫婦になっているんですか??????私は正気です 脳がバグる

 

大劇場→東京で「あの事件の後、彼を探し出して……以来ずぅっと一緒だ」というドンの台詞が追加されてそれだけでギャァアアアーーーと悶えたのも記憶に新しいんですが。その台詞はそのままに、冒頭のいわゆる「自己紹介・説明パート」を担う二人のやり取りが完全に夫婦。

本公演では父子愛や師弟愛に似たLOVEだ~(はあと)なんて萌えてましたけど、今作のリュドは部下っていうより右腕って感じがすごい。右腕、ツーカー、組長と若頭。

ヒィ~安直に軽率に萌えてしまうオタク……。

シンジケートの元締めだとかの説明が追加になっていたような。あと普段は往来を歩くのは控えている、というドンに痺れる。たまらん。コルベット大好き……。

クロック長官→ジェラール新任長官の転生(権力の弱体化)があったために、マラケシュの利権、裏の支配者の立場をコルベットが一手に担っているんだな。対レオンのとき長官付きの部下がコルベットに畏敬の念いだいているような尻込みした態度だったし。本公演はあれで長官との癒着・信頼関係があったようだったけど、今回の新任長官が結果として「掃除」に至ったのは、レオンに小馬鹿にされたことへの腹いせとしての側面が強いと感じたし。

初見の勢いで書き殴っているので細かい記憶は曖昧なんですが、二人の会話の質感が本当に最高。「おとなしくしておけよ」「あなたも」「須らく」みたいな。阿吽だわ。ひぇ……コルリュド……。ブロマンスは確実にあるでしょおおお。

 

コルベットが「私は罪深い男だよ」と言って歌うあの歌がすごく好きなんですが、本公演ではベルベル兄妹に「あなたもノマドの瞳だ」と言われて独り昔を想起して歌うのに対して、今作はソニアとの会話があって、「私が非道い男だというのは君が一番よく知っているだろう」みたいな感じで(台詞曖昧)歌うのね。歌う先に相手がいる。今作は匂わせ程度でなく最初からドンとソニアの繋がりを露出しているのも、だいぶ印象が変わる。ナターリャのこともしっかり覚えていて会話があるし、わざわざパリ回想前に金の薔薇のことを仄めかすし……。そうそう、イヴェットがムッシュに再会するシーンも加筆なのか。あそこのイヴェットかわいいね。

 

そんな感じで結構ほかの登場人物とも表立って絡みがあるからか、本公演よりも「孤独の人」の印象はもたなかった。

本公演では、コルベットも孤独の魂をもつ人で、彼が唯一、リュドヴィークの傷を癒やすことはできなくても痛みに寄り添える人物だと感じて…だからこそリュドを喪ってかわいい愛娘も手放した、幕が下りたあとのコルベットの余生を妄想して切なくて悶え転がったりしてたわけだけれど。

あれだけ冒頭でコルリュドだ~!って喚いていた人間の掌クルンンクルンで申し訳ないんですが、本公演のほうがコルリュドだったよね?……ねっ!そうですよ。

 

 

■オリガ/ふーちゃん

オリガ、オリガ、いつもマラケシュの感想を書くときに言葉を選んでしまうオリガ・オブライエンよ。

オリガは博多座が一番好きかも。感覚的なことなのでうまく説明できないんだけど、本公演でのちょっと粘度と湿度の高い女のしなだれかた、同性に嫌煙されがちな女のいやらしさ、みたいなのが薄い。リュドに縋り付くシーンも、色仕掛けでたたみかけるような切羽詰まった言い方じゃなく、割とフラット。より透明で、硝子で、鏡。輪郭が曖昧で、自然に馴染む。幻を抱き合っている、っていうのが初めてしっくりきた、かもしれない。

でもリュドヴィークとオリガ、この二人の歩む未来はやっぱりどうしても見えてこないんだよな。

「束の間のパリの夢幻」として思い出を上塗りすることはできても、結局互いそのものを愛したわけではないから、手を取り合っても辿りつく先は空虚なんだ。痛みを十分に知っている大人たちが、夢見たまんま顔の見えない相手と「もう一度やり直す、本当の朝を迎え」たような気になるだけで実は一歩も先に進めていないエンド、なんて何より痛々しいもんな……。あの終わり方でよかったんだなあって、改めて思う。

クリフォードの人物像がだいぶ変わったのも大きいよなあ。お似合いかと言われると、はて、と考えてしまうけど……()。

 

ふーちゃんは目尻と口角でどうしてもいつも笑っている表情に見えてしまいがちなんだけど、姿の見えないリュドとの別れではらはらと涙する姿にじーんときてしまったり。泣けばいいってもんじゃないけど、ずっとふらふら頼りなげに彷徨っていたオリガの物語もやっと終われるんだなあと思うと。彼女の肩をそっと抱くソフィアの姿もよかった。

 

ところで、これは本公演からの疑問なんだけど、どうしてオリガはリュドヴィークとの初対面の挨拶で旧姓を名乗るの?イヴェットに話すときは(遮られるけど)オブライエン、なのに??

全く、これだから女性はおっかない~~~(ただのロシア人アピールだったらすみません)。

 

 

■クリフォード/まっつ

変わったねえ。誠実で優しい英国貴族という土台は同じでもこうも違うか。

手紙の声がほんと優しくて柔らかくていい。僕たち夫婦のことを考えてみようと思う~きみの本意ではなかったんじゃないかと…(台詞曖昧)みたいな内容の手紙をわざわざ砂漠の遠征先から送ってくるのだ。

ゆみこクリフォードはきっとこの手紙は書かないと思った。

ゆみこ版はオリガに心の傷や迷いがあること、自分を愛したわけではないことなんて最初から承知の上で、彼女を守るためにも(金銭的な意味でも)結婚したので、マラケシュに生還して彼女が自分を探しに最果てまで来ていたことを知ったら、彼女から踏み出してくれたのなら、あとはもう強く抱き締めてここから始めよう、って言うだけで十分なんですよねえ。

んで、まっつ版。ゆみこ版ほど押しの強さがないというか、不器用なところのあるクリフォード。優しいんだけれど、その気遣いゆえにオリガへの抱擁も壊れ物を扱うようにふんわりと、みたいな印象。なんでか知らんけど叔母様からの当たりもキツいし(本当になんで?笑)。だから不安もあって、あんな手紙を記す。でもあの手紙がなければこの透明オリガはロンドンから動けなかったと思うし……運命の采配だわ。

 

 

■レオン/ゆみこ

びっくりした。レオンが一番本公演と違うキャラクターになっているんじゃないか?

このレオンは……ある意味でリュドヴィークよりも孤独だ。

マラケシュの街並みに溶け込んだ風体をしていながら、誰よりも浮いている。それは結局レオンがマラケシュを愛していないから?母のラッラがいないことだけじゃなく、ファティマも、アリも、ハサンもイヴンも誰のことも信用していないし愛していない。はなっから仲間だなんてかけらも思っちゃいない。

本公演では、事件までは長官とそれなりに腐れ縁でいて、それに絡むアリたちとの信頼関係というか、そこまでは悪党でも仲間だったんだなと感じさせる愛嬌や描写があって、それが崩れるのはレオンが土着の物や人、ルーツを捨てると宣言したとき。そこからアリにとって「仲間を裏切る半端な野郎」に成り下がってしまう。

今作では、事件前から信頼関係ゼロ。ベルベルのことも、白人のことも小馬鹿にしている。

ファティマはちゃんとレオンを愛していて心配してくれるんだけど、背を向けて誰も寄せ付けない、夜の校舎窓ガラス割ってまわりそうな、空に吐いた唾が降ってくるのに癇癪を起こしているような反抗期の精神年齢なレオン。ファティマへの愛情はないくせにやることはやってる(言い方よ)からめちゃくちゃエロくて、それはそれで好き。

 

彼はどうしてパリに行きたいんだろうと考えたとき、白人に対するコンプレックスとか、コルベットやリュドヴィークに対する憧憬もあるのだろうな、と。レオン自身は絶対に認めたくないだろうけれど。リュドがよりコルベットと近い立ち位置にいることや、レオンがアリたちに信用されていないこととかから、どうしてもレオンがリュドより格下のチンピラに見える。

てか、あれだけ普段からツンケンしておいて、「俺ならできる、俺なら信用される、俺しかできない」なんて思い込めるの、リュドがきっと甘やかして何かに付けて目をかけてあげていたに違いない。異論は認めます。

ここでは何者にもなれない自分でも、パリへ、パリへさえ行けば生まれ変われる、成り上がれる──。

それはきっとモラヴィアを出てパリを目指したかつてのリュドの若い野心そのものだったのかもしれない。

だからこそリュドヴィークもほっとけなかったのかも。

うーんでも、マラケシュを愛さず/愛されなかったレオンが果てても、砂漠は彼の魂を抱きとめる救いになるかと言われれば全然そうは思えないので……というかラストはっきり覚えてないけど本公演と同じだっけ?ベドウィンの列には加われない気がするんだけどなあ……。悲しいレオンだ。悲しいゆみこは大好物だ。

 

 

■イヴェット/なるちゃん

さて、一番好きなリュドイヴェの話をします。

いや、リュドイヴェであってリュドイヴェでない…というか、ガワは似ているのに全くの別物でした。

新人公演のときはがっつりあすかちゃんに寄せていたように思うのだけど(博多座で役替りした中ではダントツで本公演に近くはあるんだけど)、博多座はまたちょっと違うのね。

 

あすかちゃんとなるちゃんをそのまんま比較するのは演出も場数も違うのでアレなんだけど、なるイヴェはあすかイヴェよりも幼くて、若くて、リュドがずっと好きで、裏表もそこまでない、高慢ちきというより小生意気な、まだ可愛げがあるお嬢さん(でもより癇癪持ちなのはあすかイヴェ)。ムーラン・ルージュの花形スターとしてはもうちょっと俗っぽい色気があってもいいかな。

 

いや、あすかちゃんが若くないというわけでなく(笑)。リュドやコルベットがパリを去ってから、強張った表情のまま独りで過ごしてきた年数を感じさせるのはあすかイヴェ。あすかイヴェは貫禄がもう大女優なんだけど、それが実は誰よりも繊細で傷つきやすい内側を必死で包み隠そうとする鎧だったんだなっていうのが最後に分かるのがたまらなくって大好きなんだけど、このパリでそのまま時が止まってしまったような柔らかい美少女のままのイヴェットも、これはこれでいい……。ただリュドヴィークが好きで、あの頃が愛おしくて。

 

幼い私の恋を捨ててきて、ってリュドに金の薔薇を渡したあと、本公演では思わずその背に手を回そうとするリュドと、そっとそれを押し止めるイヴェットがさぁ…しんどくて好きなのですが。

思わず「千秋楽くらい抱き締めてやれよお!」って野次飛ばしたくなるんだけど(台無し)、でも、そうにしかならないのが、それしかできないのが、リュドイヴェの辿る道なんだよねえええ……。悲しい。本当に大好きだ。

 

さて、なるちゃんイヴェット、リュドヴィークを突き返しません。

なんならリュドの腕に縋ってほろほろ涙しております。

捨ててきて、って強がって見せても、本当はこのまま抱き締めてほしそうな少女のイヴェット。

抱き締めてぇ、抱き締めてやれよぉってリュドの背中つついてやりたくなる。千秋楽くらい(略)(台無し)

もちろんここで抱き締めはしないんだけど、何よりうわあってなるのが、微笑むリュドヴィークですよ。

子供のように泣きじゃくるイヴェットと、心底慈しむ表情で、潤んだ瞳で、優しく微笑むリュドヴィーク。

 

一番美しい瞬間だ。この瞬間、確かに二人に愛がある。

それはもう恋ではないかもしれないけれど。

 

この世界線のイヴェットがリュドヴィークの孤独と絶望を埋められるかというと、そうは思えないのがまた切ないところ。

 

リュドヴィークの抱える不幸な傷は、薔薇の一件から始まり、独りパリを逃げて、コルベットに拾われて……そこは本公演も同様なのだけど、随所で説明が追加されているぶん、このリュドヴィークは本当にたくさんの悪事に手を染めてきて、人も殺してきているリュドヴィークなのだろう。

 

少女のまま止まってしまったイヴェットと汚れた大人になってしまったリュドヴィークでは、もう手は取り合えない。

 

苛烈な愛と激情を同じだけの熱量でぶつけ合って果てた、本公演のリュドイヴェ。

捨てられない恋のかけらを優しく受け止めた、博多座のリュドイヴェ。

 

好きだ、好きだ……。

別物だけれど、やっぱり私はリュドヴィークとイヴェットの物語が愛おしくてたまらない。

 

はあー……(小休憩)。

 

 

 

■その他

 

ギュンター/みわっち

好きですわあ……。本公演のらんとむとは全然違う。どちらかというとりせくん@新公の気持ち悪さに近い(笑)んだけど、これが美しいんだ。なんせ幕開きソロ担当だ。イッちゃってるけどけど狂気のなかに美への陶酔がある。最上の美・リュドヴィークに殺されてさぞ本望だったことでしょう(えっ)。

 

ソフィア/彩音ちゃん

かわいいね。かわいいかわいいかわいいね。(贔屓)淑やかなソフィアたんもかわいいね。

本公演よりも少し大人の女性として、リュドヴィーク争奪戦に名を連ねる……かと思いきや、しれっとあの人といい感じになっている。ドンの台詞でマルセイユに置いていたのを連れてきた、っていう説明があって、余計かもしれないけどなんか良かった。色も匂いもないマルセイユ娘ですか~^^(時代の逆行)

 

アマン/ゆまちゃん

本公演ではイズメルとニコイチで台詞も結構あったけど、こちらは結構無口で、ちょっと異質で、また違った魅力がある。デザートローズをリュドに渡すとき、鞄から取り出すんじゃなく渡すまでずうっと大事に両手で持っていたのがいじらしくて可愛い。「頼まれていたものよ」じゃなく「あなたに」ってだけ……。かわええ。

 

金の薔薇

マラケシュでのコルベットとナターリャの会話で薔薇のいきさつやその後が少し語られるけれど、これは本当に蛇足だな~と正直思ってしまう。薔薇の物語の終焉はあれでいいのになあ。

 

 

 

■リュドヴィークの物語

 

本公演では、リュドヴィークの身体は果てたものと自己解釈した。

生身の身体からの魂の解放、魂はベドウィンとともに砂漠を旅して、いつしかまた彷徨う旅人を夢の奥津城へ導くあの『ベドウィンの男』になるの。

 

今回は……どうだろう。身体からの解放にあまり意味はないかも。

死にきれず、生き永らえるリュドヴィークも、この場合はありかもしれない。

何も語らず、憑き物が落ちたようなすっきりとした微笑みを浮かべて、あてもなくその足で旅を続ける。

あるいは、実はマラケシュにそのまま留まるのも一周回ってあり、かも。

 

マラケシュがリュドヴィークを愛しているから。

 

 

 

 

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ほんとうに、いろいろな解釈や妄想の余地があって、この余韻こそがマラケシュの醍醐味だよな~なんて知ったかぶりしてしまいます。最高。

 

ご存知のようににわか映像後追い勢ですが、大劇場版、東宝版、博多座版と、それぞれ色の違うマラケシュを観ることができて、感無量です。

 

この中でも公演ごとにきっと違う顔をしたリュドヴィークがいたんだろうなあ。

それだけは、生で観劇できた方々だけの特別な思い出ですね。

 

 

 

長々と書いてきたマラケシュ語りもひとまずおしまい。

 

本当に大好きな作品です、マラケシュ

 

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。