マラケシュ紅の墓標 初見の感情行方不明につき自分語りをし始める

2020/10/16初見

どんなにあがいても、私はマラケシュには辿り着けない。

これが一番最初に胸に湧いた思いです。


以下無駄〜〜〜に長い自分語り(作品まっっったく関係ない)を挟むので2度目の罫線まで飛ばしていただいて結構です。ほんとに。


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私はなんでもかんでも好きになるタイミングが遅くて、いつも「後追い」だ。漫画や小説、アニメ、ゲームなどの二次元のほうの趣味はまだいい。三次元、生きている人々に後追いで惚れるのは厄介だ。一目惚れしたバンドはとっくに解散しているし、どっぷりハマったテニミュも一番愛したのは遠い昔の初代だし。好きになった歌手を調べたらもうこの世の人でなくなってしまっていたこともあってやり切れない気持ちにもなった。ただ東北の僻地に住む一般家庭の私は年齢的にも経済的にも易々と遠征はできなかったのでもっぱら映像の中の彼らを、彼らの過去を愛していた。

東京暮らしの姉を頼りに初めて飛び出したのは高2の冬、テニミュ2nd比嘉公演、7代目青学お披露目の日本青年館へ。今でも鮮明に覚えてる。

それからしばらくは受験やなんやあってご無沙汰、そんな大学2年生の冬、「THE YELLOW MONKEY再集結、来春から全国アリーナツアー」のニュース。前述の「惚れた時にはとうの昔に解散してた映像で愛してたバンド」だ。期待とちょっとの不安で迎えた2016年、私は生まれて初めてライブに行った。最初は1枚のチケットしかとっていなかったのに、一度味わったら歯止めがきかなくなって、後のホールツアー含めて秋田、青森、岩手、宮城、福島、東京、埼玉と駆け回った年だった。楽しかったな。

ライブが好き。生で見る愛しい人達が好き。
場を、空気を、時間を、音を、光景を、愛する人達と共有できる特別な一時の夢。

歩き疲れて脚はクタクタ、お財布はぺしゃんこ、でもその一瞬の夢に全てを掛ける価値を感じて覚えてしまった。

自分の参戦したライブが映像化されると、嬉しいし蘇るし興奮ももちろんあるのだが「こんなもんじゃなかった」とどこかで物足りなく思う自分もいる。

映像は私が双眼鏡やモニターを見つめるよりもよっぽど鮮明に彼らの姿を映してくれるけど、それはそれで大感謝なんだけど。生で味わうあの頭のネジがすぽーんと外れて感情のボルテージがわあっと沸き上がる、ふわふわした心地で涙腺はゆるゆる、生きててよかった!みたいな身体で感じる興奮というのを映像で味わえるのはなかなかない。

なんて贅沢なことだろう。以前はいつも映像で愛していた。MCの台詞もタイミングも覚えてしまうほど繰り返し観て、何度も同じところでキャーっとなって。もちろん昔の彼らを今観ることはできないし、今も映像化円盤化大感謝の心は強くあるのだけれど。

音は波だから、受け取る感覚器は耳だけじゃないんだ。
ベースは子宮に響くのよ@スージークアトロってなもんだ。
皮膚からざわりと背骨を通って脳みそがスパークするのだ。

ああ、生で見たかった。知ってしまったから。
どんなに興奮しただろう。知ってしまったから想像が体感まで及んでしまう。

どうしたって、その時、ライブを共有していない人にその全身の感覚を伝えようってのはほんとうに難しいこと。

ライブが好きだ。好きになった。

だからこそ、「後追い」の限界を感じてしまった。


きっとそれは観劇もそうなんだろう。
生きている人々の織りなすひとときの夢は、その場限りのものだから。



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つまり長ったらしく何を言いたかったかといえば、舞台を生で観劇、それも何回か観劇した方と、円盤というチケットしか持たぬ後追い民では当然のごとく見た世界が違って。

それで、マラケシュは特にそれが顕著なんじゃないかなと思ったのです。

正直な話、マラケシュ円盤を初見で観終わったあとに自分が何を感じているのかがうまく掴めなくて、ぶっちゃけ分からないことが多すぎて、Twitterでも「ちょっと待って言語化むずかしい」なんて呟いたりして。

リュドヴィークが全然分からなかった。
彼が何を抱えてそんなに飢え枯れた魂をしているのか分からなかった。事件のことだけじゃないよね、きっと。

彼がオリガを愛したようにも感じられなかった。
オリガが空虚だから、透明な彼女の瞳に映る自分を愛したんだろうか。鏡を見つけてしまったの?あるはずもない「パリ」をうわごとのように求めて。

1回観ただけじゃあ分からないってのは、まあ、物語の本筋がわかりやすさを重要視していないであろうから致し方ないにしても。


ところで私は他人の感想を見るのが好きで、インターネットありがとう!ブログ文化ありがとう!なぁんて言いながら当時の観劇感想をサルベージするのはしばしば。自分の感想に自信がないのかもしれない。私は良いと思ったんだけど、他の人はどうなのかな、有識者(?)の審美眼的にはどうなのかしら、とか。いや最近はあんまりそういうのも気にせず誰がなんて言っても自分の好きなものは好きで通したいと思ってますが!(例:歌ヘタと言われてようが私は彩音ちゃんクリスティーヌが大好き。)

はっ、また論点ズレた。

で、マラケシュも円盤初見したあと自分の感情を言語化できずに当時の観劇感想をいろんな方のを見て回って、ああ、そりゃわかんないわ、となんか納得してしまった。春野さんが結構日替わり芝居なのは話にも聞いていたけど、きっと春野さんだけじゃなくみなさん、その日のマラケシュがあった、のではなかろうか。1日として同じマラケシュはなかったんじゃないかしらなんて思ったりして。大劇場と東京ですらだいぶ役作り変わったと目にしましたし。

ああ、生で観たかったなあ。

生で、何回でも通って観たかった。

だって円盤だけでもこんなに好きだ。自分の感情がわからないとか言語化できないとか言ってるけど好きですよ、マラケシュ。すごく好き。リュドヴィークもイヴェットもレオンもクリフォードもベドウィン兄妹もみんないい、鈴懸さんの蛇が凄い、まっつが地味に地味でツボ、音楽もどれも大好き。オススメされた春野さんの開演アナウンスは最高めっちゃ最高。オープニングも一気に惹き込まれる最高。でも好きって言っていいのかな?マラケシュのうち、切り取られた断片しか知らないようなものなのに。それでも好きって言っていいですか?……好きです!!わーん!もっともっとたくさんのマラケシュを、リュドヴィークを、マラケシュで生きる彼らを観てみたかったよう。生で!

今を生きる以上、私はあのマラケシュには辿り着けない。どうしたって。




はあ〜〜〜情緒不安定なるわ〜〜〜!!!



取り急ぎもはや別モンだと評判の博多座マラケシュが観たいです!!!!!


感想にもなってない初見書き残しは以上!
もう何度か観たら消化して深読みオタ妄言を語るかもしれませんが!その時は追記しますが!